3月11日西川口にある電気炉のメーカーさんで製品カタログと会社案内の制作について打ち合わせが終わり、資料をカバンの中にしまい、「それでは」と言って立ち上がったその時にあのマグニチュード9.0の地震が起きました。
10階建の築20年以上経ったビルは、ミシミシと悲鳴を上げ出しましたが、大きな地震の経験がないため「すぐ収まるだろう」と鷹をくくっていました。
地震が収まり、「それでは」と挨拶をして電気炉メーカーさんを辞してすぐ事務所に携帯から電話をしたが通じません。まだその時、電話が不通なのは地震のためとは気が付きません。
20分ほどかかる道のりを駅まで歩きましたが、特別変化があったわけではありません。
が、西川口に着くと電車が不通ということで沢山の人で溢れかえっていました。
駅の周りでウロウロしていますと、勿論余震が頻繁に起きてはいましたが「ちょっと待っていれば電車が動くだろう」くらいな気持ちでいました。何人かの人がホテルを確保しようとしているのを横目で見ながら、まだ余裕でした。(私はよっぽどニブイんでしょう)
何回か余震が続いてから西川口駅が扉を占めてシャットアウトしてしまい、この時「大変なことになったな」と実感し、泊まれるところを探し始めましたが、「時すでに遅し」。
全く部屋はなく、仕方なくタクシー乗り場に並んだがこれが長蛇の列で、しかも都心に入る人は乗車拒否です。
結局、歩き回った末に探し当てたサウナ風呂で、津波で家が流されている様子を一晩中見ながら朝を迎えました。
被災地の方に比べたら仔細な経験でも昨日のことの様に鮮明に覚えています。しかし、テレビに映し出される津波の映像に「死」を感じることはありませんでしたが、一日たち二日たちして被災者の方々の生の声を聴き始めてから唐突に「死」を鮮明にイメージし始めました。出来る限りの寄付や募金に参加させていただきまがらも仕事の都合もありボランティアに参加させてもらうこともなく、やりきれない思いで日々をすごしてきました。
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