2009年2月16日月曜日

男の服装と世界経済

政治と経済が混迷している。何百億円の負債で倒産、何千億円の赤字。なんでそうなったのかということについての説明がなく、アメリカのサブプライムと円高にその原因があるように報道されているが、果たしてそうなのだろうか。
テレビ局も往時の勢いが無く、番組制作費をけずっていると報道されている。このことが原因となっている訳でなないと思うが、テレビ出演者の衣装、特に男の衣装が貧弱である。関西系のお笑いタレントがこ汚い格好をするのは、芸風なのだろうと考えても、アナウンサーの服装には我慢できないものがある。それもアナウンサーの個性であり、アイデンティテーデであるならば許せるが、たんなる悪趣味としか考えられない服装が多すぎる。なにを着ても自由であるからといって視聴者を不愉快にする服装は、視聴者を見下げることにつながる。またアナウンサーに限らずテレビ出演の政治家・経営者にも正視できない服装をしている人が多い。アナウンサーや政治家・経営者はタレントではないのだから、せめてテレビに映るときくらいは、きちっとした服装をしてもらいたいものである。人が生活していくには、衣食住が必要である。なぜ衣が最初に来るかを考えてみるべきだろう。食住はパーソナルなことだが、衣は社会性を帯びているからである。常識として服装がみだれている人を尊敬できない。せめて服装だけでも、という言葉があるくらいだ。
政治・経済の混乱はこの服装から来ているといっても言いすぎではないだろう。自分も相手も大切にし、誠実で率直なコミュニケーションを始めることから学ぶことが、この混乱を脱却するための方法である。まず、自分を大切に、そして相手を大切に思っていることを表現すること。こんなささやかな気遣いが大切な時代なのだ。
まず、靴をぴかぴかに磨きこみ、背筋を伸ばして歩くことから始めよう。

男の服装と世界経済

政治と経済が混迷している。何百億円の負債で倒産、何千億円の赤字。なんでそうなったのかということについての説明がなく、アメリカのサブプライムと円高にその原因があるように報道されているが、果たしてそうなのだろうか。
テレビ局も往時の勢いが無く、番組制作費をけずっていると報道されている。このことが原因となっている訳でなないと思うが、テレビ出演者の衣装、特に男の衣装が貧弱である。関西系のお笑いタレントがこ汚い格好をするのは、芸風なのだろうと考えても、アナウンサーの服装には我慢できないものがある。それもアナウンサーの個性であり、アイデンティテーデであるならば許せるが、たんなる悪趣味としか考えられない服装が多すぎる。なにを着ても自由であるからといって視聴者を不愉快にする服装は、視聴者を見下げることにつながる。またアナウンサーに限らずテレビ出演の政治家・経営者にも正視できない服装をしている人が多い。アナウンサーや政治家・経営者はタレントではないのだから、せめてテレビに映るときくらいは、きちっとした服装をしてもらいたいものである。人が生活していくには、衣食住が必要である。なぜ衣が最初に来るかを考えてみるべきだろう。食住はパーソナルなことだが、衣は社会性を帯びているからである。常識として服装がみだれている人を尊敬できない。せめて服装だけでも、という言葉があるくらいだ。
政治・経済の混乱はこの服装から来ているといっても言いすぎではないだろう。自分も相手も大切にし、誠実で率直なコミュニケーションを始めることから学ぶことが、この混乱を脱却するための方法である。まず、自分を大切に、そして相手を大切に思っていることを表現すること。こんなささやかな気遣いが大切な時代なのだ。
まず、靴をぴかぴかに磨きこみ、背筋を伸ばして歩くことから始めよう。

2009年1月27日火曜日

服装と文明

クオリア(立国論茂木健一郎)、国富論(原丈人)と日本の産業をどのように建て直していくかということが昨今の課題となっている。
茂木さんのクオリア立国論も、原さんの国富論もわかりやすく確かにそうだと納得できるのだが、いざ実行してみようとすると雲をつかむような話になってしまい、私のようなものには手に負えない。しかし、景気が良かろうが、悪かろうが人間は生きている。
生きるということは着て、食べて、住むこと。衣食住が、人間の生を支える根幹である。政治不安・経済不安が表面化しているこの時代にあって我々は、着て、食べて、住んで(一部住むところが無い人たちがいるが)いる。頭が、政治・経済不安を生み出しているのではないかとさえ考えられるほどである。この不安が生まれる基は『自信のなさ』から来るといえそうだ。この自信のなさは、衣、つまり服装からきているのではないだろうか。
食べる、住まうということは、非常にパーソナルであるが、衣、つまり着るということは常に社会性を帯びている。自信の無さは、この社会性において多くみられる。政治家・外交官・官僚・経済人、女性はともかくとしても、これらの方々の服装はグローバリゼーションのなかで非常に見劣りがする。『凛(りん)』とした政治家・外交官・官僚・テレビの司会者などを最近みたことがない。『凛』とした内容が例えなかったとしても、形だけでも『凛』としてみようとおもうのである。
確かに野球のイチロー選手、水泳の北島選手、ゴルフの石川亮選手などテレビに出ているのを見るだけである種のオーラを感じる。最近では、44代アメリカ大統領オバマ氏のスーツ姿から受けるオーラは、見ている人を元気にするものがある。なぜか?他にもその要素はあると思うが服装が『凛』としているという共通点がある。衣、着るということ、服装ということは、動物には絶対に作れない。これを文化の視点から捉えなおすことが、経済立国としてではなく、文化立国として生きることが、がグローバル社会の中で自信を持って生き抜ける生き方であると考える。
実は、この世界には素晴らしい先達がいらっしゃる。
伊東俊太郎氏(比較文明学を学ぶ人のために、文明の誕生)
北山晴一氏(衣服は肉体になにを与えたか)
落合正勝氏(ファッションは政治である)
などの先生方である。
それと、最近売る出し中の経営コンサルタント原田隆史氏の成功塾。原田氏のスーツ姿に『凛』としたものを感じるのは私だけだろうか?
ともに、服装という文化から己の生き方を問い直してみるチャンスが『今』ではないだろうか!!
お互い、『凛』として生きていきましょう。