1.自助ということ
資本主義、社会主義、共産主義、民主主義と色々な主義がある。なにが良くてなにが悪いということは無い。やはり自由主義という主義が一番である。
全てのことを自分で選択し、行うことが出来るということが、人間にとって最良であることは、民族、宗教、貧富にかかわらず当たり前のことである。
豊かな人生を選択することも、また清貧の人生を選択することも自由であり、富を蓄えることも、自分の心が命じるままの生活をすることも自由である。この自由主義こそ人間が求める最高の思想である。人間の歴史はこの自由を手に入れるための戦いである。
究極目的が自由であるにもかかわらず、貨幣経済である現代は、お金がないことには何も出来ない。ここに自由をえるための手段でしかない、貨幣=お金を獲得する合理的な方法として資本主義だ、共産主義だというその時代の為政者の都合の良い主義で税金を取る方法になってしまった。
都合よく税金を取るシステムを作り上げた国家は、しかし取り上げた税金を使うために巨大化していく。そしてこの税金を取り上げた国民に平等に使うという税金の配給制度は勤労意欲を無くして行く。社会保障制度の国家依存は国家そのものを蝕んでしまう。
税金が高い国に誰が住みたいか、お金を稼ぐ力のあるものはより税金が少ない国に移り住む。残るものは国家に頼らなければ生活できない弱者になる。国家はそれでは成り立たない。銀行金利をゼロにし、税金を高くする。
これで一体誰が得をしているのか。
沢山の利益を出している銀行に税金がない、これはおかしい。どうしてなのかという説明もされない。多額の利益を出している銀行が税金を払えば、国家予算は潤沢になる。
銀行の問題だけでなく、色々なところに綻びが生じ、日本国家は今、倒産前の会社のようである。しかし、この税金を一手に握っている官僚は、一度も倒産という事態を経験してはいない。これが一番危険なことである。
われわれは今、自由というかけがえのないものを失いかけていることに気が付かなければならない。税金という鎖に縛られ、平等という呪詛にがんじがらめにされている。
自分の仕事に自身と誇りが持てるこんな最低限のことも奪われようとしている。
倹約する者の邪魔をすることによって繁栄をもたらすことはできない。
強者を強くすることによって弱者を強くすることは出来ない。
給料を払うものを潰すことによって給料を貰う者を救うことは出来ない。
階級間の憎悪を煽ることによって兄弟愛を増やすことは出来ない。
確固たる安全を借金の上に築くわけにはいかない。
金持ちを潰すことによって貧乏人を助けることは出来ない。
稼ぐよりも遣う方を多くすることによって窮地を脱することは出来ない。
人の自発性や創造性を奪うことによって、人格や勇気を涵養することは出来ない。
その人が自分でできること、また自力でやるべきことを、その人に代わってやってあげても、恒久的な助けにはならない。
サッチャー婦人「信念の政治家」より
2.S・スマイルズ著 自助論(国家と個人)
「天は自ら助くるものを助ける」
という格言は、人類の多くの試練を経て生み出されました。
この短い言葉には、数限りない人々の経験から導き出された、人生で成功するなめの法則が示されている。
自ら助けるという、いわゆる自助の精神は、人間が真に成長していくための根本となるもんである。また、この自助の精神が、国民一人一人の人生の中に多く見出されるかどうかを決めるのだ。
人は、外部からの助けを頼ろうとするとき、人間としての力を弱めてします。
これに対し、自分の中から湧き上がってくる自分をたすけるぞという心は、いつまでも、自分を励まし、自分を元気にしてくれる力となるのだ。
たとえ、よかれと思って他人を助けたとしても、その人間は、そのことによって、自分で自分自身を励まして何とかしようという気をなくしてしまうことになるだろう。そして、ついには、その必要性さも忘れてしまうことになっていくのだ。
他人による保護や援助、指導は行過ぎると、その人をまったく無力な役立たたずの人間にしてしまうものである。
3.次に打つ石は
販売促進、広告宣伝、コンサルタントそして本業のカタログ製作の仕事をしているが、大成功と考えていた仕事があるひとつの詰めの甘さから失敗したり、万端尽きたかに見えた仕事が突然前触れも無く、復活するといったことを始終経験している。
どちらの場合もそうなる前に、そうなる原因を作っていることに気が付いた。
ゆうくりと振り返ってみると、偶然に見えることが、偶然ではなく必然であることがわかる。こう考えるとビジネスには偶然というのは無いと考えられる。しかしどう考えても運河良かったとしか表現のしようがない事も起きる。
例えば、資金繰りで不足がでるといった場合、降って沸いたように仕事が発生したり、入金が早く入ったりする。このようなときには神様が恵んでくれたと思うことにしている。
人生のあらゆる面で起きることは、碁と同じかもしれない。悪手を打った瞬間、大きな石が全て死んでしまう。ところが、良い手を打った場合はつまらない石までが生きてくる。
人生経験の良し悪しは、これから打つ石によって決まるのではないかと思う。
人生は自分の努力で盤面を広くできる碁みたいなものだと思う。
4.ローマが偉大だからローマを愛したのではない
「ローマ人はローマが偉大だったからローマを愛したのではない。ローマ人が愛したから、ローマが偉大になったのだ。」
我々が住むこの大和、このヤマトをわれわれは熱烈に愛しているだろうか。
ヤマトは国のまほろば と歌い、あおによし やまとの国は と歌った時代。これほどの想いがヤマト民族なのだ。ローマが偉大であったのには、偉大なローマだから愛したという側面と、愛したから偉大になったという側面がある。先人がこよなく愛したやまと。この偉大なやまとを心から愛してこそ、偉大な、すばらしい国、日本となる。
この町を愛することから、我々の人生を始めなければならない。
偉大な日本、豊かなヤマトのために。
愛すれば必ず答えてくれるやまと。
5.ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ 紀友則
人を愛し、国を愛する。それはふと散っていく桜の花びら、石垣の間から可憐にスミレがさいている。そんなことに陶酔する心であろう。
山路来て 何やらゆかい すみれそう と歌う芭蕉は恍惚とした陶酔状態となる。
ほんの小さな陶酔に人生の全てがある。この恍惚とした陶酔は、決して自分の努力によって獲得したというものではなく、賜物としていただくものである。
考えてみれば、我々が持っている最も大切なものは、生命です。この生命は我々が獲得したものではなく、親からもらったもの、神からもらったものです。
大切な我々の生命は、与えられたものであることには間違いない。いつも無償で与えられるこの恍惚とした陶酔は一人一人のものであり、人を愛する、国を愛する心として、お互いに表現することが自由に満ち満ちた自己表現が出来るすばらしい人生を約束される。
いま我々は、日本民族として気位を高くもって、自己表現の旅に出よう
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