ビジネスとは一体なんだ。
最近、人間に深みがなくなったように感じるのは私だけだろうか。すべての物がインスタントに出来上がってしまう。コンビニエンス、サラ金、エステ、インスタント食品、生活に必要なものをすぐに手に入れたいと考えることがこうしたサービスを作りあげている。
ビジネスとはこうした欲求に答えることで、そこには善悪という思考は存在しなくなっている。善悪よりも優先することとして位置付けられている。
つまり欲求に如何にすばやく応えることがビジネスでの勝者である。ここに最近のうすべったさを感じる理由がある。いつのころであったろうか、軽薄短小が先端のビジネスの主人の座におさなったのは。重厚長大産業が主力事業であった時代には人間の活力、深みがあった。過去が良かったと思うわけでなはいが、最近のような凶悪犯罪は無かった。
特に顕著にあらわれているのは、ITビジネスだ。ブログであり、ミクシーである。どれほどの必要があるかわからないが、ものすごい勢いで繁殖している。これらのゲームやコミュニティーもサービスという産業に入るのだろう。
コンピュータゲームがない生活は考えられないと話している30台後半のサラリーマンの話を聞いたとき、なぜだか窒息しそうな金魚を見ているような気らした。
北朝鮮問題にしても、人間の尊厳の問題としてではなく、ビジネスの問題として解決しようという動きになっている。我々の尊厳をかけての戦いとするならば、政治の舞台で、経済の舞台で、企業体の舞台であらゆる舞台で真剣に北朝鮮の核に対抗する方法を考えなければならない。核の脅威に対して、ビジネスで戦うということは、負け戦とわかっていて戦う野球の消化試合よりももっと悪い。太古の昔から人は自らを守るために戦ってきた。
この戦いに勝つために必要な武器購入のために、ビジネスを考えた。ビジネスをすることが目的ではなく、自らを守るためにビジネスを行い、武器を買う。
この北朝鮮の核の脅威に対抗するためには、核で対抗する以外には方法はない。
戦争という脅威に勝つためには、太古の昔から行われている自らを守る方法以外に方法はない。その武器を調達するためにビジネスがあるのである。
勝つためには何が必要か。
戦争の脅威、核の脅威、生活の脅威、自然の脅威、われわれを取り巻く脅威は日々増え続けている。しかし、この脅威に勝つ以外には、生き延びる方法はない。
ここに英知の必要がある。今、必要なのはこの英知であり、この英知以外には脅威に勝ち続け人類が繁栄していくことはできない。この英知は戦略であり、戦術という言葉に置き換えることができる。特に競争の激しいビジネス戦争で勝ち抜くには、マーケティングという言葉に変換されているが、相手企業の弱点を突くという戦略以外には方法はない。
例えそれが倫理的に問題があったとしてもである。核戦争であっても、ビジネス戦争であっても勝てなければ終わりなのだ。
そのために、英知を磨き、チャンスを見つけて食らいつく。常に英知を磨き続けること以外にはない。この英知を磨くことが人生の目的であり、生きるということはこの磨いた英知を使い、勝ちを作り上げていくことである。
会社、企業体が出す利益とは。
会社という組織体なくして、現状の日本社会は成り立たない。法人税、源泉税、地方税、消費税と物凄い税金である。これらの税金を使って日本国は成り立っている。会社というビジネス組織はこれだけの税金を召し上げられても活動できるということは、物凄く利益をだせるビジネスシステムである。この大きく利益を出せるビジネスシステムを生活向上の為に利用しない方法はない。つまり、ビジネスシステムを構築すれば利益が舞い込んでくるシステムがビジネスシステムなのである。
そしてこのビジネスシステムは勝ち続けられるシステムでもある。このビジネスシステムを利用したものが勝者というわけだ。
つまり、勝者になるということは、勝ち続けられる武器を手に入れ続けることと同意語なのだ。武器の無い戦いでは、勝者になることは出来ないというのが真実なのだ。
税金で成り立つ組織の問題点について。
税金は時の為政者が使うものである。なぜ人は権力を持ちたいか、それはこの税金を使う権利が手に入るからである。税金という強者にだけ許される強奪方法はこれからも一層強力になっていく、しかも我々の生活を守るためという口実のもとに。それは時の為政者がいつもそうであったように、自分がたらふく食べた残りを与えるということは時代がいくら変化しても変わることはない。税金を使う側になるか、税金を払う側になるか、それとも日本人であることをやめて、税金のない国に移り住むか。いずれにしろ人間社会である以上税金という強者による強奪システムがなくなることはない。
人間は変わらない。
一時縄文の歴史にのめり込んでいた時期があった。特に縄文時代から弥生時代への変遷はドラマチックである。岡本太郎、五木寛之、梅原猛氏と多くの学者、作家、芸術家がその独自の見解を展開している。色々な見解はあるが、その中で一環していることは、ライフ イズ アートということだ。つまり生きることが芸術であるという見解である。
より早く、より簡単な方向に人間の欲望が流れはじめた時期が分水嶺となり、より安易な快楽追求が社会の需要であるというマーケティングのもとに軽薄短小会社の急成長は銀行までが企業を育てるという使命を忘れ去ったように、金貸しに成り下がる。少し上品な高利貸し。ここに日本の縮図がある。人間の幸福度を経済基準で測るようになったのは、たしかに縄文から弥生へ時代が変化していくときに起きている。決して今始まったことではない。たしかに衣食住がなければ生きていくことは出来ないが、しかしこの衣食住だけでは人は生きていけないということも事実である。生活することがアートであった縄文時代に帰ることはできない。だが、人生のあらゆる部分で自己表現をすることは可能である。
この自己表現がアートにまでアウトヘブンされたときに、穏やかに、たおやかに、雄雄しく生きる人生が取り戻せる。現代生活はしかしながら、貧者の一灯ではすまなくなっていることは事実である。
繁栄を求める愚かさと賢明さ。
繁栄と貧困を同じカテゴリーの中に入れてしまうことは危険なことであるが、この方法論が正義になっている。われわれはこの方法論の危険さに気づき、違った方法論を確率しなければならない時期を迎えている。繁栄を求めて努力しなければ、貧しくなるという考えは、果たして真実なのか。すべての人間は繁栄を求めなくなったら、どんな社会がくるのだろうか、仮に繁栄というボキャブラリーが無い社会とすると、それはどんな社会なんだろう。今真剣に考えなければならないのは、このことではないか。繁栄を求めることの愚かさと賢明さが同居したこの時代、それは縄文から弥生に時代の変遷があったあの時代に重ね合わせて考えてみることも、重要な思考方法である。
21世紀は仮説時代。
色々な問題があるにしろ現代社会は繁栄の時代である。少しだけ肩の力を抜いて、繁栄という言葉に対して色々な仮説を立ててみる。その位のゆとりはある。少しがけ立ち止まる。そんなゆとりから、つぎの繁栄が見えてくると考える。
マトリックスを使うマーケティング理論があるが、この理論は何を獲得するという仮説から始まる。マトリックスを逆に使って、何かを失うためのマーケティング理論を構築してみようという仮説が次代の要請に合っているにでは、という考えが人類繁栄の理論として存在しているかもわからない、あくなでも仮説であるが。
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